比類なき

 英介は二十歳の女性モデルと一般男性がデートをして、最後に告白をする企画の撮影現場にスタッフとして立ち会っていた。

「僕と、付き合ってくれませんか」爽やかでお洒落な男性が緊張した面持ちで言う。

彼女はファンを惹き付けてやまない天使のようなはにかみをしっかりと見せてから答えた。

「よろしくお願いします」

 周囲で身を隠していた他のスタッフや男の友人らがどこからか現れ、祝福の言葉を二人に送る。

 いいなあ。おれもあんな彼女がほshdofls…

 突然、脳内での発語にも関わらず呂律が回らなくなった。頭が重い。思考の焦点がぶれ始め、気づいたときには、人物を除いたあらゆる風景がすべて無機質な白で塗りたくられていた。

と思ったら、パチン。

人物すらも視界から消え去り、真っ白で覆われた世界に赤い文字だけが点灯する。

 比類なき 緊急 危険

そして、映画に出てくるような大袈裟で暴力的なアラート音が、その他すべての音をかき消すように無遠慮に鳴り響き始めた。

 誰かが彼の下に駆け寄り、背中をさすってくれているのが感触でわかるが声は聴こえず、姿も見えない。

すべては白で覆われている。

どうやら自分は倒れたようだ。この人はおれを助けてくれようとしているのだろうか? 男の声が聞こえた。

「おーい、充電器を持ってきてくれ」周囲に助けを呼んでくれている。

いや違う、彼はおれを充電しようとしているのだ。アラート音と共に、目の前で赤い文字が点滅し続ける。

 英介は青ざめた顔で、全身汗でびしょ濡れになりながらベッドから起き上がった。

 なんだ、今の夢は。撮影スタッフ? そんなのやったこともない。おれは、アンドロイドだったということか。

 

 彼は身支度を整えてから街に出ると、不思議な光景が広がっていることに気づく。自分以外のすべての人の首に、四文字のアルファベットが書かれたプレートがぶら下げられていた。

ISTP ESFP INFJ ENTP …

それはまさにこの間、心理学の授業で教授が説明していたあの記号だった。

「人間は十六人しかいない」心理学の授業で、教授が人類不変の真理を語るように言った。「それがMBTIという性格診断メソッドが持つ基本的な考え方だ」

 教授はスクリーンに簡易的な表を映し出す。

外交的(E)― 内向的(I)

具体的(S)― 抽象的(N)

論理的(T)― 情緒的(F)

堅実 (J)― 柔軟 (P) 

「人間の性格は誰しも外交的と内向的、具体的と抽象的、論理的と情緒的、堅実と柔軟のそれぞれ二つのうち一つに偏っている。この四つの要素のうちそれぞれ二つから一つを選び、それを組み合わせれば、二の四乗=十六パターンの性格類型が生み出されることになる。例えば」教授は黒板に聞いたことのない国際機関の略称みたいな大文字のアルファベットを書いた。

「INTP型。このタイプは、現実的なことや人間関係などよりも、抽象的な概念を常に頭の中でこねくり回していることに興味が向く種類の人間を指す。一方、ESFJ型。このタイプは周囲にいる人たちと常に友好的な関係を築こうとするムードメーカーであり、俗に言うところの人気者だ。

 この二タイプは四つの要素において、すべてが逆となる。故に性格も真反対だ。偏屈で人の感情に無頓着なINTP型はESFJ型のような明るい人気者になることは不向きだし、反対にESFJ型はINTP型のような周囲に理解されがたい独創的な考えを一人で深めていこうとは夢にも思わない。

 だからと言って、決して二人は友好的な関係を築けないわけではない。互いが自分にない要素を持ち合わせているからこそ、反発することはあれども、相補的に助け合い組織においては魅力的な化学反応を起こすこともある。また、自分の性格と競合することない美点を有している相手のことを尊重し、慕うことは頻繁に見られる現象だ。

 各タイプの詳細や、自己診断テスト用のページも共有するので、興味を持った者は確認しておくことを推奨する」

 なるほど。そんな考え方があったのか。英介は頭の中で、自分の知る人たちがどのようなタイプにあたるのか資料を確認しながら考察していた。

 英介は授業後に教授に話しかけにいく。「今日の授業内容、とても興味深かったです。もっとMBTIについて知りたくなりました」

「そうか。では、今度の昼休みにお茶でも」教授は洗練された笑みを彼に向けて言った。

「ありがとうございます」と英介は頭を下げる。

「そんな君に一つ」頭上から教授の声が降ってきて顔を上げた。

「特別な言葉を授けよう」

 その日の夜、教わった言葉を思い出し呟いてから眠りにつくと、あの訳の分からない夢を見た。そして朝には人の首にかけられたMBTIの記号が書かれているプレートが見えるようになっていたのだ。

 その日、英介は大学の授業がなく、正午から駅前のファーストフード店にアルバイトで出勤していた。いつものように気分はあまり優れない。従業員スペースでは同僚の陰口ばかりが耳に入ってくる。中には人なつこく元気な高校生の男の子や包容力のある優しい中年女性もいたが、基本的には話そう思える人が少なく、居心地を悪さを感じながら働いていた。

 今日、いつもと違うのは、みんなの胸にプレートが掛けられていることだ。

 なるほど、中本さんはESFJ型か。どうりで接客が上手いはずだ。へえ、康祐くんはESTP型なのか。快活なわけだ。彼がいるとその場が元気になる。他の人のプレートには全くと言っていいほど興味が湧かなかった。

 シフトが終わった後に、英介は店長の部屋に呼び出されて注意を受けた。「なあ、もっとみんなと仲良くしろよ。飲食はチームワークが大事なんだからさ。その暗い顔どうにかなんないかねえ」

「すみません」

英介は人格を否定されたようで、激しい憎しみを彼に感じている自分に気がつく。ふと彼のプレートに目をやるとESTJと書いてある。規範を守り管理業務が上手いタイプの性格だ。

「すみませんじゃないよ。改善する気あるの?」

 畜生。こいつの人生めちゃくちゃになればいいのに。

そう思った瞬間、プレートに書かれた文字が、まるで四匹の虫のようにプレート上で蠢き始めた。そして、その中のJの文字がくるりとオセロのようにひっくり返り、Pという文字に置き換わった。

「まあいいや。どうせ人間、すぐには変わらねえか」吐き捨てるように店長が言った。

 翌日以降、店長は以前なら考えられないような管理ミスを連発し始めた。出勤時間には遅れ、スタッフのシフトは重複し、いつも偉そうで自信に溢れた表情は苛立っていた。

 もしやと思い英介は店長のプレートを見るとESTPになっていた。 P型はJ型の反対で、規範などを守ることにあまり興味がない柔軟型。ESTP型は、刺激やリスクを求める起業家的な性格だったはず。とすれば店長の行動の変化も納得ができる。彼はもう組織に管理された中で人を正確に管理する仕事など続けられないだろう。

 一番悪口を言う英介の嫌いな女の子のプレートには、ESFPと書かれていた。意識をプレートに向けるとやはり虫のように文字が蠢き出したので、EをIにひっくり返すイメージをしたら本当にその通りになった。Eの外向的な性格がIの内向的な性格に置き換わったのだ。もう一文字変えようと思ったがどうやら変えられるのは一文字だけみたいだ。

 彼女は今までの派手な性格から急に大人しく目立たないタイプになった。相変わらず陰口は叩いていたが、同僚内のポジションは下がったようで彼女に溜まっていたストレスをぶちまけるように他の女性スタッフから辛辣な態度を取られるようになった。

 大学では語学のクラスが同じで気になっていた女の子と付き合っている男の性格を変えた。その一ヶ月後に二人は別れた。

「なんかいきなりふんわりした人になっちゃったんだよね。前はあんな人じゃなかったのに」

彼女の友達への愚痴を耳にした。僕は彼氏の性格をINTP型からINFP型に変換したのだ。

 英介はバッタの大群のような渋谷の人混みの中、すれ違う人々すべての文字を転換させる遊びを思いついた。三歩進むごとに知らない誰か一人の性格類型が変わり、人生が変わる。まるで自分の足跡が人々の人生に刻印されるようだ。特に嫌なことがあった日は大学の帰りに通る渋谷を「散歩」して、気分を晴らした。

 「散歩」をしたある日の帰りに駅前のバーで何杯かウイスキーをひっかけたあと、一人で家の近所の公園に立ち寄った。景色は大きく歪み上手く歩くことができない。三日三晩歩かされ続けた奴隷のように一番高い鉄棒にもたれかかる。頭を支えることを忘れた首がぐらりと曲がり、地面の砂粒がぼんやりと見えた。魔が差し前まわりをしたが着地に失敗し身体が地面に叩きつけられる。それでも身体は一切の痛みを感じない。まるで痛みなど初めからこの世になかったかのようだ。呼吸が浅くなり息をもらすように笑い始めると次第にそれは高笑いと変わっていき、遂には狂気に満ちた悪魔的な笑いが喉から溢れ出てきた。

 なんだ、これは。ああ、美しい。なんて美しいんだ!

 人の運命を記号的に変えてしまう体験により、芸術家の頭の中に最高傑作の創案が降りて来たかのようなエクスタシーが英介の脳内を満たした。

 笑いが、止まらない。

視界の端に黒い猫が通ったのが見えたような気がした。

 次の朝、起きたら聞き覚えのあるアラート音が大袈裟に鳴り響いていた。頭が割れるように痛い。何をしても鳴り止むことはなさそうだ。玄関のドアを乱暴に開けて屋外に出るが、どこへ逃げようとその音は英介を追って来る。いくら歩いても位置を変えない夜空に浮かんだ月のように。 

 彼はついに耳を塞ぎながら道路にひざまずく。周囲の人が自分のことを見ている。心配そうにしている人もいれば、汚いものを見るように見下ろしてくる人間もいる。ふと彼らの胸元のプレートに目をやると、今まで書かれていたアルファベットの文字はなく、そこには一様に次の言葉が書かれていた。

 比類なき 緊急 危険

視界が白く染まり始めた。


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