僕はテニスボール。コートの上をラケットで叩かれ行き来する。風を切る感じがとても心地よい。このために生まれてきた気がする。たまにネット際にポトンと落とされるが、それはそれで優しさを感じる。ネットにかかっても落ち着く。必ず拾ってもらえるからだ。でも、どこかに吹っ飛ばされて芝生の中とかで見つからないのは悲しい。
僕を打ってくれる人はもういない。ああ懐かしいなあ、バコバコみんなに打たれていたあの時代。あれからもう三年も経った。こんな深い茂みの中じゃきっと誰にも見つけてもらえないよな。なんせ僕は緑色、自然に馴染む見た目なんだ。空気もすっかり抜けちゃったけど、使い切られたボールたちみたいに成仏もさせてもらえない。
ボール同士考えていることはわかるけど、虫や動物たちの考えていることはよくわからないから孤独だ。テニスをする人間たちだったら、手に持たれたりラケットと触れ合ったりするときの情報でその人のことがわかり、コミュニケーションしていると感じられる。もうそんな親密な気持ちになれることもないのだろうが。
でも、救いはある。世界にはきっと、僕みたいにどこかへ飛んでいったテニスボールたちがたくさんいるはずなんだ。誰かに拾われて成仏させてもらえたボールの方がずっと多いだろうけど、見つからないままほっとかれているのもいるはずだ。誰にも見つけられず、ただそこにいる。僕だけじゃない。
全世界のボールたちよ。君たちは一体何を考えているんだい? 僕は今、無性に君たちと会いたい。人間たちは小さい機械を使えば遠くの人と話すことができるみたいだ。僕たちにもそんなものがあれば、どんなにいいだろう。でも、残念ながらそんな便利な道具はない。だったら、どうする? このままただ存在しているしかないのか。動物たちが羨ましい。自分の力で動くことができるのだから。
茂みの外の世界はどんなものだっただろう。身体に生えた毛で感じ取った景色も曖昧になってきた。それでもラケットで自分が打たれる時の音は鮮明に覚えている。覚えているというか、自分はもう音そのもののような気がしてきた。音の中に、ラケットに打たれる衝撃やコートを跳ねる爽快感、ネットにかかる安らぎのすべてが記憶されている。その音だけが、僕という存在に満ちていく。
この何もない世界で、僕は音になりつつある。なんだか楽しくなってきた。こんな気持ちは三年ぶりだ。どこかに放っておかれているボールたちに会いたいという気持ちもすっかり奥の方に引っ込んでしまった。ここはテニスコート。僕の場所、故郷だ。ああ、なんて気持ちいいんだろう。青い空の下、空間を純回転で泳ぐ優雅さ、サーブで撃ち抜かれる時の静から動への転化、汗で湿った手の温もり。これだよ、これ。僕は、テニスボールだ。
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