スマホは妻のクローゼットへ

昼下がり、近所のカフェで読書。スパイスがほのかに感じられるチーズケーキ。添えられたさっぱりとしたクリーム。エスニックな香りを持つドリップコーヒー。薄暗い部屋に漏れ入る陽の光。

ただの描写、それだけでよかったりする。

単価の良い仕事を家で探してきた。同じ報酬でほどよい労働時間に減らすため。少しでも読み書きに時間を割きたい。また、短時間集中が仕事としては一番楽しいため。それには報酬が高く、短時間の仕事を得るしかない。

音楽をカフェからSHAZAMで連れてくる。空間のカケラが家に運ばれ、先ほどの時間の輝きを反射する。

つながり、別々である場所。ムードの移植。

スマホは基本敵である。自分のしたいことができなくなる。ただし、ある条件でのみ味方となる。ロールパンナちゃんみたいだ。

外で聴く音楽、目的地へのルート検索、移動中のツイッター、思いつきをマイブラリーに書くこと。つまり家では基本なくてよく、郵便受けか、妻の部屋のクローゼットに電源を切り入れておけばいい。電池は二、三日に一度充電すれば十分。調べもの、音楽など家ではタブレットでいい。

小さく手に収まるものに無限の情報刺激があるというギャップに問題がある。脳がやられる。身体が手軽なものとして認識するが脳は興奮するので、容易に次へ次へと手を指を運んでしまう。

タブレット、PCは大きく重たく手に余るので、ある程度姿勢が固定され、すると疲れてくる。スマホは脳だけ無限の刺激に曝され続け、身体は制限されない。だから、移動中のみ使う、という有限化との相性がとても良い。

2024.11.13(水)〈『百日の孤独』4日目〉


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