ゆっくりとした言葉

二時間朝の仕事をしたのち、ポールオースター『幽霊たち』を読むが、眠いので机に突っ伏して寝る。カフェの音楽の中、店では出来ないことをする。かなり頭が澄んできた。

仕事が終わればカフェ環境をつくることが大切だ。コーヒーを淹れ、ちょっとした菓子やつまみを揃える。今回はカマンベールチーズだった。むちむちしたとろみ、甘み、つんとした酸っぱさ。

なるべくこの日記はゆっくりと文字を書いている。初日に書き始めた喫茶店(そういあそこはカフェというよりそっち)で、周りに鉛筆が紙を擦る音が聞こえぬよう静かに筆先を滑らせたときのイメージで。

すると文に粘りが出て、上滑らなくなる。自分の垢が混じったような、体臭が消せないまま通りすぎるような、生々しい現実がここに残る。生きた感触。表現の密度。この密度はたとえば漢詩?俳句?

タイピングがなく、時間もゆっくり流れていた時代、一つ一つの言葉はもっと濃ゆいものだったのかもしれない。あるいは生き方も。濃いコーヒーをじっくり味わうように。

死とは、鳴っていた音楽が終わり、次の曲が始まることのない沈黙に包まれること。

ポモドーロ法はだめだ。全身全霊で集中して取り組んでしまう。もっとTVゲームをするみたいに何となくやったりやらなかったりを繰り返す。

2024.11.14(木)〈『百日の孤独』5日目〉


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