球をポコンと打ち交わす

父とテニス。早朝雨が降ったが早めに止みプレーできた。空気と人工芝のコートには湿り気が瑞々しく残る。私たちを囲む公園の木々たちは朝に浴びたシャワーですっきりした様子だ。

隣りではご婦人方三人が熱心にダブルスの練習をしている。一人はコーチのようだ。

ボールを打ち合うのはやはり気持ちいい。一定のリズムが二人の身体から相互に打ち出され、ボールの軌道に神経が集中する。世界が拘束される。このコート上というブロックに開じ込められ、ここで踊ることを強制される。この有限性に自由は宿る。原稿用紙のマス目が、次の一字の場所と、文章の規覚的リズムを拘束するように。

父の健脚は見張るものがある。たくさん歩いているからだろう。自分も歩いたり走ったりすることは続けていきたい。

テニスで楽しい瞬間は二つある。一つは一定のリズムで無心に球をポコンと打ち交わしているときだ。互いにその存在を認め、依存し、楽しみを共同でつくり出している。私がこの世界に馴染んでいる実感。無目的な享楽。千葉雅也『センスの哲学』の「リズム」を楽しむ「センス」という観点。

(続く)

2024.11.15(金)〈『百日の孤独』6日目〉


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