鳥がいてギョッ

週明け。眠いけどいつも通り早起きして仕事を二時間ほどしてから、コーヒー・音楽・読書の自分時間。合間にうたた寝。

ポール・オースター『幽霊たち』読了。どこからが現実で、どこからが虚構の世界かわからなくなる不思議な感覚だ。

いつの間にか入り込んでいる、というところが村上春樹に近い。春樹はきっと影響を受けたのだろう。簡単な言い回しに実に多くの事象が折り込まれており、ミニマリズムを感じた。英話はどんどん情報を足していく印象があったので(谷崎潤一郎『文章読本』)、新鮮だった。その点を考慮した柴田元幸の翻訳も良いのだろう。

だが、抽象度が高いゆえに読解が難しく、いくつかインターネットで書評を読んだ。物語の読み方が豊かになった気がする。

そういえば、昨日川沿いを走っているときに、道に鳩ぐらいの大きさの鳥の死骸があった。概ね食われたあとで羽根だけが元の姿を残したままといった具合に。

中々ギョッとするような光景だが、よく考えれば食卓で私たちが魚にしているようなことだ。骨や頭だけ残し、食せる部分を食す。

ではなぜギョッが生まれたか。

それは一つに鳥だったからだろう。日本の食卓やキッチンでは、鳥を元の姿から捌いて食べることは少ない。スーパーや肉屋に並んだ「お肉」として出会う。そこにはパッケージされた商品があり、トレー、ラップ、値札などで記号化され、野生味は脱臭されている。

もう一つは、道の上だったからだ。森の中でも屠殺場でもない、血の臭いが漂わないはずの文明の中での出来事だからだ。私たち人間は野生に放たれれば食われもするという事実を忘れることができている。しかし、無惨な鳥の死骸はそれを思い出させる存在なのだ。

仕事の単価交渉。時給五百円上げられるかもしれない。フリーランスみたいなものなので、短期更新契約の場合、常に他社も検討し、剣先を向け続けると、緊張感のある交渉が行える。

ただし、それも自分がどのように生活したいかを決めるのが先決だ。

自分は一日のうち四時間だけパソコン仕事で、あとは週三日、夕方から二、三時間教育系のアルバイトをし、あとは読んだり書いたり、カフェに行ったり読書会や習い事に参加する、といった半分休日みたいな平日を送りたいのだ。

それにもまた、自身の愉悦は、文を書き、小説と人文書を読む、それもカフェみたいな環境ですることがコアなのだと知ったことにより、様々な試行錯誤の末構築されていったという経緯がある。

単価交渉、そしてジョブチェンジはきっとまず自分のしたい生活とそのコアになる活動内容を発見することから始まるのだ。

自分がどうしてもやめたくない、理由もなくやっていて充実した楽しみに浸れること。それはきっとお金や時間を割いてでもやりたいことのはずだ。

それを守るという感情の動く必然性にこそ、単価や労働環境を変える力は宿る。

2024.11.18(月)〈『百日の孤独』9日目〉


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