愛は善で戦争は悪。おならは私の体内から余分な気体を排出する健康維持の限りにおいて善だが、自分が臭いと感じる限りにおいて悪である(スピノザは音楽の例を挙げる)。
哲学者・國分功一郎は『はじめてのスピノザ』の中で、このような善悪の価値観の相対性について「組み合わせ」と表現した。
神=世界全体にとって戦争は一つのフラットな事象である。そのような認識を持つことで、まず私たちは感情と切り離してその出来事、物事について理性的に考えられるとっかかりが得られる。その上で、私は私の大切な人たちや同胞、地球に住む人、動物たちにとって、最悪の組み合わせなので、なんとしてでも避けたいと欲望し、行為することになる。
他にも実に多様な事象について透徹した眼差しで捉えられるようにしてくれる考え方をスピノザを与えてくれる。
例えば、「自由」とは何か、とか。
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金曜日、少しハードワーク気味で疲労が溜まっている。目の周りのツボを押すと結構痛い。
昨日の夜は、年末調整に必要な書類の書き方が全く分からないので、妻に教授していただきながら、なんとか記載できた。ケーキを奢る約束をした。
この税金とか年金とか保険料のような確定申告に関わることは、全身で拒絶したい衝動に駆られる。思考も感情も閉店ガラガラ、という感じだ。きっと組み合わせが悪い。神にとってはおいしいケーキも確定申告も共に神の一部として表現される事象に過ぎないのであろうが、私という様態にとっては限りない悪と言えよう。もちろん、確定申告の方である。
妻がハンバーグをこねている。ぺちぺち、ぺちぺちと音楽の流れる中で一つの楽器のようにこねている。なんと幸せな時間だろう。お腹はぺこぺこ。炊きたての白いご飯、出汁の効いたなめこの味噌汁、肉汁をぎゅっと内に備えた外カリカリ目のハンバーグ。日曜ドラマを録画してあるので、それを観ながら二人で食べる晩ご飯。こういう普通でかけがえのない時間を味わってあと五十年ぐらい生きていきたい。
そんな「いい夫婦の日」。
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生活改善計画。白湯を飲みながら考える。徒らに言葉を並べてみる。
文章を書いて考えたり思ったりしたことを形に残すという営みはある程度できている。ある程度の客観性、ある程度の多様さ、ある程度の深度、そして遊び。思索に、散文、出来事に、比喩。「日記本」というフォーマットにより、これらが可能となっている。
この無目的な文筆は今の自分に合っている。何がしたいって、「本をつくりたい」のだった。自分は今、本をつくっている。だから、善い。以上。
加えて、やりたいことがある。Mybrary(マイブラリー)の改良だ。このアプリでいくつかだけやりたいことがある。だからいじって一般の人にも楽しんでもらうようにしていきたい。「ことばの生態系」というキャッチコピーだが、この本質的な無目的性は残しつつ、その自然な表現、すなわち様態として「生命型自己発見スペース」としてユーザを誘い、生態系としての生命力を高める。何によってか。多くのユーザが、多くの言葉を〈セル〉として入力し、福岡伸一さんの提唱する「動的平衡」を活発化させることによってである。
主にこの第三形態への進化に着手したい。第一形態は「生命型自己発見ツール」として、道具的・自己目的的に使うことを念頭に置いた状態だった。
第二形態は、一切の目的性を脱臭して、「ことばの生態系」という自律した生命体としての本質を顕にした。
そして第三形態は、根本にこの自律した無目的性、すなわち自己享楽性を本性としつつ、その魅力的な様態として「自己発見スペース」という表現を行うことになる。まるで植物が花びらを通じてハチを誘い、花粉を愉悦の中で運ばせてしまうように。
さて、書くこと、いや本をつくること、そしてアプリをつくること。これが生活の中心的位置づけになる。後は毎日の朝の掃除、小説、執筆、人文系読書サークルの運営、能やジークンドーの練習、小説・人文書の読書、たまにピアノやカラオケ、ランニング、それらの「合間」としてのプログラミングの仕事と半ば表現・発散である教育系の仕事。これらがしたいタイミング、頻度、状況、環境、量でできれば、人生はかなり楽しい。
ということをまずは言語化して、今日は寝よう。
2024.11.22(金)〈『百日の孤独』13日目〉
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