必要なのは、構想とタイムスケジュール。どんな未来をつくるのか、どんな毎日を過ごすのか。
小さくてもいいから、自分の場所が欲しいな。何かをみんなでつくる場所が。マイブラリーやTeracoyaをつくるアトリエが。「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」ができる遊び場が。ただそこで動いているだけで楽しいダンスホールが。
昨日挙げた「それだけで人生はかなり楽しい」と思えることには大きな不足物があった。この遊び場だ。書く場所、読む場所、身体を専念させる場所、帰る安らぎの場はある。が、みんなで何かをつくり試す実験的遊び場がない。
いやだ。それがない人生をおれは拒否する。本をつくり、文を読み書き教えることは、確かに自分の核となる活動で、これがなければ死んですらしまう表現だ。だが、色々みんなで試す場所が、僕の呼吸できるもう一つの場所だ。太陰太極図のように、それぞれの自分は半身として互いに絡み合い私を形成する。
おれにはできないことがたくさんある。でも、書き、考え、つくり、巻き込むことはできる。
そのための技術や場所はもうある。
あとは、「十全な認識」(スピノザ)が足りなかった。自分の欲望に関する。
妻は今日、美しい革のバッグと財布を東小金井の店で買った。似合っている。デザイン、機能性共に申し分ないものだ。輝きを増した。自分は服を買えば、髪を切れば、良い小物をもらえば輝けるだろうか。
今の自分には場所が要る。今日買いに行った東小金井の長閑で親しみのある住宅地に、突如現れた原宿表参道や代官山にあって馴染むようなハイセンスなあのお店のように、この「常識」が吹き荒ぶ社会の中で「外側」に位置するような浮いた空間を、私もつくりたい。
それが僕の願いだ。
しかし、僕はそれらを手放してきた。おそらくは自分の手で、自分の意志で。後悔はしていない。しかし、大切なものはそこにあったのだ。
君たちとともに。
手離したのは僕だ。なぜか。書かなかったからだ。内に宿す自分の半身がないがしろにされていたからだ。
今は書く半身は充足を得ているが、みなで遊ぶ半身は顔を伏せ気味に退屈そうにしている。
ああ、わがままなおれだ。
仕方ない、叶えてやろう。その夢を。
君は誰だ。
知らないのか? 大人のお前だよ。経験、知恵、人との付き合い方、ある程度の礼儀、力の抜き具合、大切な部分を見極める目、人の気持ちに傾ける耳を持ったお前だよ。
分かった。それなら安心だ。君は、僕の気持ちが分かる。
ああ、分かる。全部、おれも経験してきたことだ。楽しかったよな。苦しかったよな。寂しかったよな。愉快だったよな。あれもこれも。
今、『ダニー・ボーイ』っていう曲を聴いてるんだ。パブロ・カザルスというチェリストの。
知ってるさ。
…。
僕たちは夜のしじまに空いた穴を潜り言葉を交わした。
そして私は水面から顔出し、息を思い切り吸い込み、吐き出した。冬になりかけの空気は、宝石みたいに澄んでいた。
気負わず行こう。教えている生徒に意味を訊かれ咄嗟に答えられなかった言葉。『新明解国語辞典』を引くと、
競争心が先に立ったり功を急ぐ気持が前面に出たりして、必要以上に張り切る。
とある。
誰かと競っているわけじゃないし、「成功」を求めているわけでもない。急いではない。ただ、シンプルに、ニュートラルに、一歩ずつ、当然の如くポラリス(北極星)へと歩むこと。
どういう組み立てで、どう楽しみながら「心のある道」(真木悠介『気流の鳴る音』)を歩いて行くか。構想とタイムスケジュールを再度検討しよう。
2024.11.23(土)〈『百日の孤独』14日目〉
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