私は、このような私である以外あり得なかった

床屋に行って髪がだいぶすっきりした。行こう行こうと思っていたが、なかなかタイミングがなく先延ばしになっていた。

いつもの美容室に行って本の話や最近考えたこと、活動していることなどの話もしたかったが、今は仕事の時間を軽減できる以前のフェーズなので中々それも叶わない。

だが12月の中旬には、火曜日と金曜日の夕方が空くのでまた行けそうである。しかし、近所の床屋さんもまた良い。顔剃りや眉毛カットがセットでついてくるし、短い時間でざーばー、がしっ、しゅっしゅっと髪がどんどん捌かれていくのも気持ちがいいものだ。それでいてセットも含めていい感じにスッキリ整えて仕上げてくれるのだから凄い。

また、本の話など共通項が普段よりは少ないからこそ、「世間話」といった風の話となり、それはそれで楽しかった。年末年始の休みが長いとか旅行するならどこに行ってみたいか、など。自分の仕事や、妻の働き方についても話し、久しぶりに客観的な目で自分たちを切り取ってみた感覚があり、むしろ新鮮だった。

次は美容室の方に行って、色々本や最近考えていることの話をしたい。

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昨日から『進撃の巨人』に関して、哲学的に考察したブログを読みはじめた。81本中1本目。内容は「自由」についての論考で、まさに本作で一番興味のあるテーマだ。おそらく哲学を専門的に学んだ方が書かれていて、哲学者たちの思想・テクストを交えながら、骨太の議論をポップな文体で展開してくれる。

一本目の記事を読んで、まさにこんな記事を書きたかった/読みたかったのだと胸を衝かれた。大学で文学部哲学科に進み熱心に勉強していれば、このような素晴らしい記事が書けたのだろうか。

今、独学で少しずつ学んでいるが、筆者の方の知識量には中々及びそうもない。文中に出てくる知見にも芯を食った理解をされている。

少しずつ、こういうのも書いていけるよう。毎日遅々たる歩みであれど勉強していきたい。

一方、哲学科に入学していたら、これまでしてきた活動、今もなお付き合いの続く大切な人たちとはおそらく出会えていなかったかもしれない。そう考えると何が正解とかはやはりなく、そのような現実があったし、それには自分が認識できないような細かく複雑な因果関係が働いていて、結局は必然だったと、スピノザの必然主義的な捉え方が腑に落ちる。

私は、このような私である以外あり得なかった。と諦めとしてでなく、十全に理解する形で直観したとき、僕らに自由は訪れる。

2024.11.26(火)〈『百日の孤独』17日目〉


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