「生活改善運動」

 仕事の単価が上がった。結構上げてくれた。うれしい。これで自分の自由な時間が増える。副業のいくつかを減らしたが、プログラミングの本業の単価が向上したおかげで、そちらの時間は今まで通りで問題なくなったからだ。

 この状況にするために他の案件も探し応募したが、そちらがバトナとして機能し、派遣元の担当社員さんが交渉してくれたことによる。感謝。

 自分の要望は言語化しておき、それの実現に向けて少しでも実行あるいは準備をしておくこと。

 そしてなにより、なぜ自分の時間すなわち自己を十全に表現できる時間が欲しいのかを明確に言語化しておくこと。全てはここからはじまるのだ。

 なぜ、ではないか。誰しも自己を十全に表現できる時間——〈自由時間〉——を欲望しているのだから。自分がなるべく自分であるようにする努力をスピノザは「コナトゥス」と呼んだ。人だけでなくすべての存在にコナトゥスはある。鉛筆にもコーヒーにも、青空にだって、何億光年離れた星にだって、ある。

 我々は自分らしくある時間を望む者である。

 では、それはどのような時間なのか?

 これについては、色々触れて学んで勉強して挑戦して味わい、どんな風だったかを言語化していくしかない。あるいは知覚を記憶するのだ。

 どれがどれぐらい自分に喜びあるいは悲しみをもたらしたか。

 その上で、一日の中で(あるいは一週間、一ヶ月、一年で)どのように活動を組み合わせたときあなたは自由になれるか。

 それを見つけるのだ。

 世界一周旅行や宇宙に行ってみるだけで自由になれるわけではない。

 そして自由の知覚、匂いを感じられる限り、あなたには自由の可能性との接触がすでにあることになる(ベルクソンを応用すれば)。

 自らの指先の動きや、呼吸の乱れの整え、あるいはしたいことを紙に気軽に書いてみるところから、原因と結果の連鎖により、必然的(かつ偶然の装いをして)自由は、あなたのもとに少しずつ溶けていく。

 すると、周囲の環境は自分の努力の結果でありながらも、まるで自動化されたドミノの転倒のようにあなたの自由に巻き込まれる。

 そのことを「生活改善運動」と私は呼びたい。

2024.11.28(木)〈『百日の孤独』19日目〉


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